2007年05月29日

大河ドラマ『天地人』  大河ドラマの歴史〜90年代前半



80年代の大河ドラマは視聴率的にも、すごかったこと、
みていただきましたでしょうか。
(まだの方は「大河ドラマ『天地人』 歴史80年代後半」へ)
39%の視聴率、瞬間最高では約50%なんて、いまのNHKが
実現すれば大騒動でしょうね。


当時の大河ドラマが、どれほど私たちの生活と切っても切れない、
そんな生活の一部になっていたかを感じさせます。


この前も言いましたが、今ではテレビやメディアにおける
国民一般の価値観が変わりました。
当時は1台のテレビを家族揃って見る、ということがまだあった
最後の時代・世代のように思うのです。


今はテレビでもデジタル放送で見る候補が多様化しすぎている
わけですから、昔のような高視聴率番組を作り出すことは、
この先いくらでも困難になっていくのでしょうね。


2009年の大河ドラマ 天地人 が、歴史として語り継がれる
ほどの秀作になることを今から期待せずにはいられません。

なんといっても、直江兼続が主人公なのですから!!



1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』は西郷隆盛(西田敏行)と
大久保利通(鹿賀丈史)を主人公としたドラマ。

骨太の歴史ドラマとして評価は高いが、幕末物は当たらない
のジンクスは破れず、平均視聴率は23.2%と前年より大きく
落とした。



1991年の『太平記』は、足利尊氏(真田広之)を主人公に据えて、
戦後のテレビ界・映画界で半ばタブー扱いされていた南北朝時代を
扱った。

これも重厚なストーリーで、時代劇ファンの間では大河ドラマの
最高傑作に挙げる人も多い。

片岡鶴太郎演じる北条高時の怪演が評判となり、片岡が
お笑いタレントから性格俳優へ転じる契機となった。
視聴率は26.0%。



1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』から、NHKエンタープライズへ
の大河ドラマの外注が開始された。
最も人気のある歴史人物の織田信長を主人公とすることで
視聴率が期待された。

柔和なイメージの緒形直人を信長に、郷ひろみを徳川家康、
マイケル富岡を明智光秀になど「意図的なミスキャスト」と
呼ばれる冒険的な配役で挑んだ。

滝田栄の家康、中井貴一の信玄など既存のイメージを崩した
キャスティングの成功例は多いが、さすがにやりすぎたらしく
視聴率は24.6%と三傑ものとしては期待はずれの結果に終わった。



翌年から、外注による意欲的なドラマ制作の一環として、
1年間だった大河ドラマを半年とし、地方の題材に焦点をあてる
試みが行われた。

だが、1993年前半の『琉球の風』(沖縄県の琉球王国)、
1993年後半の『炎立つ』(東北の奥州藤原氏)は視聴率が17%
にまで落ち込み、結果的に大失敗に終わった
(ただし、『炎立つ』の作品としての評価は高い)。

初めて室町時代中期を扱った1994年の『花の乱』は14.1%と
視聴率の下落に歯止めがかからず、視聴者に馴染みのないマイナー
テーマの難しさを露呈し、多額の制作費のかかる大河ドラマを
続けることへの批判が高まり「大河ドラマ廃止論」まで
取り沙汰された。



これを救ったのが『独眼竜政宗』で成功したジェームス三木を
起用し、外部委託も取りやめ1年間路線に戻した1995年の
『八代将軍吉宗』。

それまで真面目一辺倒だった大河の作風に「コメディ」の要素を
積極的に取り入れ、視聴率も26.4%にまで持ち直す。
その一方で、このコメディ路線が大河ドラマの軽薄化のきっかけ
になったのではないか、という批判もある。


出典『フリー百科事典ウィキペディア』より


posted by 大河ドラマ 天地人 at 19:21| 大河ドラマの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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